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天空の聖地へ 高野山ケーブルカー

写真ギャラリー

高野山ケーブルカーにまつわる歴史を、
貴重な写真で振り返ります。
※2018年9月27日(木)から随時開催の
写真展「高野山ケーブルカー歴史展 〜開通から88年間の軌跡〜」から一部抜粋しています。

初代ケーブルカー

1930(昭和5)年~1953(昭和28)年

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高野山駅プラットホーム建設中
高野山駅は山岳地帯のため、当時の技術では非常に難しい工事となりました。初代ケーブルカーは1両編成だったため、当時のプラットホームは今よりも短いものでした。

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初代ケーブルカー開通
1930(昭和5)年に開通。1両2編成で、1両あたりの定員は120人。山内はほとんど車も走っていなかった時代に、多くの人を山上まで運ぶケーブルカーが誕生しました。

2代目ケーブルカー

1953(昭和28)年~1964(昭和39)年

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2代目ケーブルカー
極楽橋駅ホームに到着
23年間の現役生活を終えることが決定した初代ケーブルカー。2代目ケーブルカーが世代交代すべく、極楽橋駅ホームに到着。後ろには、初代こうや号の姿も。

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約10年という短い現役生活
1965(昭和40)年に迎える高野山開創1150年記念大法会の大量輸送を控え、輸送力増強が急務となり、2代目ケーブルカーは約10年間で現役生活を終えることとなりました。

3代目ケーブルカー

1964(昭和39)年~2018(平成30)年

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大和川橋梁を渡る3代目ケーブルカー
車両は山口県の日立製作所で製造され、国鉄山陽本線から天王寺駅を経由し、当社線極楽橋駅へと運ばれました。写真は、3代目ケーブルカーが大和川橋梁を渡る様子。

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3代目こうや号とお揃いのツートーンカラー
現行のケーブルカーの塗装は、1984(昭和59)年の弘法大師御入定1150年御遠忌大法会を前に、3代目こうや号のカラーに合わせて塗り替えられました。

写真展